シュウ──盲目を選びケンシロウに未来を

北斗の拳

【仁星の宿命】南斗白鷺拳・シュウ──命をかけて未来を託した男の物語

「この少年は 誰よりも強く 激しく光る可能性を秘めている」

その言葉が、すべてを物語っていた。
彼の名はシュウ。南斗六聖拳の一人にして、“仁星”を背負った男。
南斗白鷺拳の継承者でありながら、彼の本質は「闘う者」ではなく、「人を守る者」だった。

物語の始まりは、まだケンシロウが少年だった頃。
南斗十人組手に挑戦する彼を見たシュウは、その中に果てしない光を見た。
だからこそ、最後の一人として自ら名乗り出て、ケンを圧倒する。
ただし、それは才能を潰すための戦いではなかった。
彼に「敗北という試練」を与え、戦いの厳しさを教えるため。
優しさとは甘やかすことではなく、本当に相手を想うがゆえの厳しさだ。
それが、仁の本質──シュウの思いやりだった。

そしてその直後、ケンシロウの命を守るため、南斗の掟に背き、自らの両目を潰した。
光を捨ててでも未来の命を守る。そんな選択を、彼は迷わず下した。

核戦争後の荒廃した世界。

暴君サウザーによる恐怖の支配が広がる中、シュウは聖帝軍に連れ去られた子どもたちを救うため、反帝部隊のリーダーとなった。
彼のもとに集まったのは、腕自慢の拳士たちではなく、平和を願う村人たち。
彼らの中には、少年でありながら父と共に戦った息子・シバの姿もあった。
妻を早くに亡くし、シバとともに希望の火を繋ぎ続けた日々。

だが、それはあまりにも過酷な戦いだった。
シュウには、力ある拳士を無理に引き入れることはできなかった。
彼の“仁”が、それを許さなかったのだ。
家族を人質に取られた者を無理やり戦に巻き込むことなど、彼には到底できない。

──仁星は、戦いに向かない星である。

それはサウザーの言葉でもあった。
正しい。シュウは、あまりにも良い人すぎた。
だからこそ、知略でも力でも勝てなかった。

ただ、彼が本当に果たすべき役割は、戦いではなかったのかもしれない。
「仁星」としての宿命は、南斗六聖拳に“仁”を説き、暴走する時代にブレーキをかけること。
だが、シュウがサウザーと再会した時、そこにはすでに“聖帝”が完成していた。

彼は手を尽くした。
それでも止められなかった。
戦乱の時代が訪れ、南斗の崩壊が始まってしまった。

そして──成長したケンシロウとの再会。

彼の実力を試すため、あえて素性を隠して死闘を挑む。
ケンの進化を、己の敗北をもって証明したのだ。
「サウザーを倒せるのは、この男しかいない」
そう確信した時、彼はすでに命を賭ける覚悟を決めていた。

だが運命は残酷だった。

ケンシロウはサウザーに敗れた。
サウザーとの闘いで捕えられたケンシロウを救ったのは、なんと息子・シバ。
しかし、追っ手を食い止めるためにシバは自爆し、命を落とす──。
その報せを聞いた時、シュウは何を思ったのだろう。

やがて聖帝軍にアジトを突き止められ、傷ついたケンを地下水路から逃したシュウは、たった一人で立ち向かう決意をする。
そして、サウザーと対峙──。
だが、人質100人の命の前に手が出せず、足の腱を切られ敗北。
その後、巨大な聖碑を背負わされ、十字陵を登らされるという極刑を受ける。

「この石は百人の人質の命…
 そして南斗六聖拳の乱れを防げなかった私の痛みだ──」

命尽きる直前、彼の視力が奇跡的に戻る。
目に映ったのは、成長し、再び立ち上がったケンシロウの姿だった。

その瞬間、彼は微笑み、涙し、
聖碑の下敷きとなって絶命する。


もし彼が、サウザーと真正面から戦えたなら。

盲目という大きなハンデがなければ。
南斗白鷺拳は、南斗鳳凰拳に次ぐほどの実力を秘めていたはずだ。
脚技を主体としたスタイルにより、彼の攻撃範囲は広く、卓越した感覚で相手を圧倒できた。
だが、盲目ゆえに“心眼”を封じられた時、戦士としての力を発揮することは難しかった。

それでも──

仁を背負い、戦い、守り、託し、散っていった彼の生き様は、
拳士として、父として、そして一人の人間として、
これ以上ないほどに強く、美しかった。

南斗白鷺拳・シュウ。
その名を、忘れてはいけない。

彼の“仁”は、確かにケンシロウへと受け継がれている。




※あの頃の記憶をたどりながら、もう一度シュウを思い返してみた。

細かい部分は忘れてしまったけど、胸に残っている“あのシーンの興奮”や“あの音楽の高鳴り”は、今でも僕の中に生きています。

そんな思い出を「回顧録」として、書き留めてみました。

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